ちょっと私的なつぶやきにも似た記事になります。
『40代は「人生の土台」を創るとき』という光野桃さんの記事を読みました。
ちなみに光野さんは現在60代。
一生に一度、人生のなにもかもが変わっていく、さながら明治維新のごとき動乱期を生き抜く、サムライのような時期があってもいいのかもしれない、と。
なぜなら、それから20年が経ってみると、40から先の人生すべての土台は、この時に作られているということがわかるからです。
能力や秘めている力を知る。限界も知る。そしてそれまでの人生ではなかった「諦める」ことも知り、と同時にまだまだ再生力があることも知らされるのが40代です。
~中略
社会の中ではなく、心の中にだけ存在する、あなただけの「平安のサンクチュアリ(聖域)」をもつのです。
それはなんでもいい。音楽でも、本の中の言葉でも、一対のピアスでも。
条件は、社会という規範で判断しない、されないものである、ということ。
40代は社会性の嵐に巻き込まれる季節でもあるので、その圧に屈しない、別次元のスペースを心のなかに持つことが必要なのです。
そこでは冷静になれ、素の自分に戻ることができる。傷も癒せる、夢も見られる。そんな場をしっかりと作っておくことが大切です。
40代、最中の私にとっては、刺さる言葉の数々。
これは何も、40代でなくても、ひとそれぞれいつ感じるか、で変わってくるのかな、と思います。
まあ、一般的に80歳まで生きるとしたら、40歳で折り返し地点。
あと半分もある!と思うか、あと半分しかない。。と思うか。
それまで自分が何をしてきたか、これからどうやって生きたいか。
色々と考える時期でもあります。
私自身、30代終わりまで会社員としてひたすら働いて、その後独立。
決して順風満帆ではなかったけれど、なんとかもがきながら生きている。
サラリーマンを辞めたその後は、本当に悩みの連続、学びの連続です。
それは今も続いているし、これからもきっと続くんだろうな。。と。
自分の能力を知り、諦めることも知る、再生出来る力にも気づく。
少々切ないですが、まったくその通りだなと感じます。
何かを手放すと、何かを得る。と実感もしていますし、日々学び続ける事の大切さも、しみじみと感じています。
がむしゃらに働いていても、例えば、家族の問題で打ちひしがれる時があっても、
心の中に、自分だけの聖域・・を持っていること。
それに救われて、人生が豊かになる、楽しくなる、そんな何かがある人は、
きっと何が起きても幸せを見いだせるだろう。と思います。
ヨガは私にとって、聖域。(となりつつある、と言ったほうが正しい。)
単なるエクササイズ、運動不足の解消目的から、今は生きる指針というか、
今後の人生の柱ができたような。
何も考えずにただ自分と向き合う。ただ委ねる、ことの心地よさ。
ファッションももちろん好きです^^
ただ以前と比べて、嗜好はかなり変わってきました。
これもヨガの影響かと、いや絶対そうなんですが。^^;
心地いい素材重視であったり、ゆったりとしたシルエットであったり。
自分を必要以上に、背伸びさせたり、いかつく、尖がったりさせることも不要。
使い捨てのものは避ける。長く使えるものを厳選する。
若いころから、『本物志向』に憧れていて、いわゆる『定番』と呼べるものを
少しずつ身の回りに増やしていきたい派(笑)だったのですが、
それを自然に感じるようになれたこと。無理して、ではなく。
とは言っても、光野桃さん曰く、まだ”明治維新のサムライ”のような時期の私。
まだまだ失敗も許されるし、挑戦も勉強も、発展・進化も全部これから。
”別次元の自分だけのスペース”を持ちながら、この先も七転び八起き!